「おはよう、歩ちゃん」

 

 リビングに下りた自分を出迎えてくれた声で、まず歩は安堵した。

 

「おはよ。梓」

 

 既に目を覚ましていた梓は既にいつもの様子で、昨日の出来事を引き摺っている様子は無かった。

 まぁこれもいつものことなのだけど、それでもやっぱり安心はしてしまう。

 朝になっても昨日のようなテンションでいられては、こちらもやり辛いものがあるのだ。

 

「椎乃はまだ?」

「うん。昨日遅かったみたいだから、まだ寝かせてあげてるよ」

「……ま、今日は休みだしな。起こさなくてもいいか」

 

 昨日のこともあるし、別に起きてこないことに文句をいうつもりは微塵も無かった。

 まぁ、さすがに昼近くになっても起きないようであればそれはまた別だが。

 

「父さんは?」

「おじさんならついさっき出かけたよ? 何か、まだ仕事が残ってるって」

「相変わらず仕事人間だな……。休日ぐらい家族サービスしたっていいだろうに」

「うーん……忙しいんだから仕方ないよ」

「まぁ、そうだけど」

 

 実質、この家を支えているのが父なのは確かだ。

 学校の校則でバイトが禁止されている以上、歩も梓もその父に頼らざるを得ない。

 だから確かに仕方ないと言えばそれで終わってしまうのだが……やっぱり息子としては、もう少し楽をして欲しいとも思ったり。

 

「何でバイト禁止なんだが……ウチの学校は」

 

 今のご時世、高校生がバイトやったっておかしくなんか無いだろうに。

 

「私もそう思って先生に聞いてみたんだけど、なんか昔の先輩がバイト中に大事を起こしたからみたいだよ?」

「バイトが禁止になるような大事ってどんなだよ……」

 

 バイト先が、バイト中のミスで燃えたとでもいうのだろうか。

 禁止になるとして、考えうる大事と言えばそれぐらいだが……。

 

 しかし、梓の返答はそんな予測の遥か上を行った。

 

「お店の一部が吹き飛んだらしいよ?」

「爆破事故!?」

 

 火事なんて生易しいものではなかった。

 ガスボンベにでも引火したのだろうか。

 

 というか日常の出来事で店の一部が吹っ飛ぶって、一体どんなバイトをしていたのだろう。

 それが何よりも気になった。

 

「おはよう二人とも」

 

 そんな話題に付いて話し合っていると、不意に三人目の声が挟まってきた。

 

「あ、しいちゃん。おはよー」

 

 ふぁ……、と眠そうに欠伸を一つしながら、椎乃はとことこと歩いてきてソファーに腰をおろす。

 

「まだ寝てればいいのに」

「んーん……。人様の家でそれもないでしょ」

「珍しい……いつもは遠慮なんかしないくせに」

「私だって節度ぐらいは弁えるよ?」

「……節度、ね」

 

 本当にそうなのか、甚だ疑問である。

 そもそも家宅侵入する奴に節度があると言えるのか、全国の人々に訊いてみたかった。

 きっとそれにイエスと答える九割ぐらいは空き巣の類に違いない。

 で、残る一割は椎乃のような奇特人間だろう。

 

「殴っていい?」

「地の文を読むな」

 

 そもそもそんな特殊能力、常人は持っちゃいない。

 ……いやまぁ、それに突っ込めてしまう歩も同族なのかもしれないけど。

 

「まぁ冗談は置いておいて。さすがに友達の家に泊まって昼まで熟睡、なんてことはしないよ」

「ま、それもそうだけど」

 

 実際、昼まで寝ているようなら無理矢理にでも起こそうと考えていたぐらいだから、その言葉には同意。

 しかし昨日は梓の様子見を一任してしまったような形なので、それまでぐらいは寝ていてもよかったのもまた事実ではある。

 

「それに寝たりない分は家で寝直すし、問題無い無い」

「寝直すってしいちゃん……。それぐらいだったらもう少し寝ててもいいのに」

 

 あっさりと言い放たれた言葉に梓は苦笑。

 その気持ちは分からないでもない。

 確かに昼まで熟睡されるようなのはお断りだが、それまでならば何ら問題は無いのだから。

 というかまだ眠いというのであれば、歩としても先の理由からもそちらを推奨したい所だ。

 

「でも、枕替わるとあまり寝れない体質なんだよね、私って」

「……そんな繊細か? お前って」

「うん、やっぱり殴ろう」

「いや待てって――おぅっ」

 

 待たなかった。

 

 

 

 MEMORY7 ショッピングタイム

 

 

 

 朝食を終えた歩達は、ちょっとした会話の流れから駅前へと繰り出していた。

 何でも、

 

『新しい学校生活も始まったしねー。身だしなみから変えて気分一新しようかと思うんだ』

 

 とのことらしい。

 まぁぶっちゃけ新しい服でも物色するつもりなのだ。

 

 そして、別に断ることは出来たのだが、歩も陸上の関連で見たいものがあったのでそれに付き合う形となった。

 

「歩ちゃんは服は見ないの?」

「特には見たいのも無いしな。それに、現状で充分間に合ってる」

「歩って服装とか気にしないタイプだったっけ?」

「別にそんなこととは無いけど。でも、必要以上に金を掛ける気は無いかな」

 

 それぐらいならば、陸上などといった趣味の方にその金を回したほうがよっぽど有意義だと思う種類の人間なのだ、歩は。

 ただもう一度言うが、別に興味が無いわけではない。

 

「うーん……それじゃあ一回ばらけた方がいいかなぁ。確かスポーツ用品売ってる店って、商店街の端の方だったでしょ?」

「いや、俺はすぐ済むから、先に行かせてくれるならそっちに付き合うけど」

「うぇ、何それー。私達に面倒かけるつもりー?」

「……残念だったな、梓。貴重な荷物持ち役がいなくなったぞ」

「あ、嘘、ごめんなさいー」

 

 どうせ椎乃だってそのつもりだったのだろう。

 歩から荷物持ちをすると持ち出してきたのは意外だったようだが、それでもすぐに慌てて返していた。

 

 ……もちろん、度を越えるようなら逃げるつもりだけど。

 

「でも、荷物持ちって……いいの? 歩ちゃん」

「梓っち、いいんだよ。歩はそのために生まれてきたんだから」

「え……歩ちゃん、そうだったの?」

「俺の生誕理由しょぼすぎるぞ。何だその下僕人生。そして梓、お前まで信じるなよ」

「え、違うの?」

「いかにも『ずっとそう思ってました』的な顔で言うんじゃねぇ」

 

 やっぱり荷物持ちやめようか。

 自分の買うだけ買って、逃げようか。

 そんな考えが頭を過ぎる。

 というかぶっちゃけ、選択肢の八割がそれで埋まった。

 

「まぁ冗談はさて置いて」

「あの会話を、あっさり冗談で片付けられるお前の頭の中を一度見てみたい……」

「頭蓋骨と、脳みそで埋まってるよー」

「……」

 

 駄目だ。

 何かもう、こいつ色んな意味で駄目だ。

 まともに会話が成立する確立が低すぎる。

 

 いや今更なんだけど。

 長い付き合いでそれぐらい分かってるんだけれど。

 でも、やっぱり思わないとやってられない。

 

 何だこの常識破りの娘。

 

「神奈椎乃、ピチピチの十六歳ー」

「なぁ、もう帰っていいか?」

 

 本気で思った。

 

 

 

 

 

 

 だが抵抗空しく、結局は歩も買い物には最後まで付き合わされることになった。

 

 そうして商店街を練り歩くこと、一時間超。

 さらに一つ増えることになった袋を歩は携える羽目になったものの、何とか買い物も無事に終わった。

 

 ……たかが買い物如きに大袈裟な、とか思うこと無かれ。

 

「うーん……やっぱりもうちょっと買い込んでもよかったかなぁ」

 

 そんなことをブツブツと呟くこの少女が傍にいる限り、平穏な日常なんて半永久的に戻ってくることは無いのだ。

 もしそれを望みたいのであれば、逃げでもする必要があるわけなのだが――。

 

「ん? どしたの、人の顔じろじろ見て」

「いや別に」

 

 ――こいつの場合は、地の果てまででも笑顔で追いかけてきそうだから怖い。

 下手をすればその途中で掴まり、ジ・エンドと言う可能性も十分にある。

 

「そう? てっきりまた私の悪口でも考えてるんだと思ったんだけど?」

 

 ……思考停止。

 これ以上は確実に思考を読まれ、想像を現実にされそうだった。

 

「気のせいだ」

「何かすっごい棒読みじゃない?」

「気のせいだ」

「うわー、同じ発音で繰り返したよこの人」

 

 なんと言われようが、それ以上は考えない。

 考えたら、人生が詰んでしまうであろうことは間違い無さそうだし。

 じと目で見てくる椎乃をのらりくらりと受け流しつつ、歩は視線を隣の梓へと向けた。

 

「梓も、もう特に買う物はないよな?」

「うん。私としいちゃんはもう大丈夫だよ。歩ちゃんも?」

「同じく、だな。もともとそんなに買う予定なんて無かったし」

「えー、私達へのプレゼントはー?」

「……その素晴らしい発想がどこから湧いて出てきたのか、小一時間ほど問い詰めたい」

「え、だって歩、両手に花状態だし。となれば私達に貢ぐのが普通じゃない?」

「自分で言うか、自分で。そして俺はそんな『都合のいい男』人生まっしぐらになんかなりたくありません」

 

 何が悲しくて自分からそんな道を選ばなければならないのか。

 そして椎乃も、どうして素でそういう発想が浮かんでくるのだろう。

 何だ、『貢ぐ』って。

 

 椎乃の中では、歩ってそういう認識だったのだろうか。

 だとしたら、さすがに少し凹むが。

 

「いや冗談だって。へこまないでよ」

「お前の言葉ほど信頼性の無い言葉を、俺は聞いたことがないぞ」

 

 まだ胡散臭い祈祷師とかの言葉の方が信用できるかもしれない。

 

「失礼な。こんな頭脳明細の女の子に向かって言う言葉じゃないと思うよ、それ」

「確かに頭脳明細なのは認めるけど、それとこれとは関係無いだろ」

 

 というかむしろ、頭脳明細でこんな性格だからこそ厄介なのだ。

 どんな状況でもこちらの行動を先読みされ、こういう話の流れに持っていかれてしまうのだから。

 

 ある意味、最も敵には回したくないタイプである。

 

「全部筒抜けだよ?」

「なぁ、そろそろ登場人物としての自覚を持たないか?」

 

 とりあえず、閑話休題。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ私はこっちだから」

 

 しばらく歩いて差し掛かったT字路で、椎乃はそう言って歩達の家とは逆の方向を指差した。

 別に椎乃の家は遠いと言うことは無いのだが、この辺りの地理の都合上、ここで曲がっておかないとかなりの遠回りになるのである。

 

「うん、それじゃあね。しいちゃん」

「また明日な」

 

 一瞬、昨夜のことで『ありがとう』という言葉が漏れそうになったが、梓がこの場にいたために辛うじて堪えることが出来た。

 まさか張本人を前にして、お礼を言うわけにもいかない。

 まぁ、この件に関しては後で電話でもしておけば問題は無いだろう。

 

 だが、椎乃の姿が角に曲がって見えなくなるまで見送り、二人も帰路に着いて少し経った時。

 梓が「あ」と不意に声を上げた。

 

「どうした?」

「あ、うん……。歩ちゃんが持ってる袋の一つって、しいちゃんのじゃなかったっけ……」

「……」

 

 その言葉に、歩の視線が歩自身の持つ袋に向けられた。

 そして、

 

「……しまった」

 

 その事実を思い出し、額を抑えた。

 

 そうだった。

 確かにここには梓の買った物もあるものの、それは半分だけ。

 もう半分の持ち主は、既にここにはいない椎乃のものなのだ。

 

 ずっと話して来たからか、それをすっかり忘れてしまっていた。

 

「……追いかける?」

 

 そう言うと、梓は既に椎乃の見えなくなった方向を見た。

 ……正直、かなり遠い。

 

「それか、明日私が学校で渡そうか? その袋、中身は確か鞄とか小物系だったと思うけど」

「あー……」

 

 どうしようか、と歩の頭を二つの考えが巡る。

 が、あまり考えていては、どの道手遅れになってしまうのも事実だった。

 

 だから仕方なく、歩は早々に決断を下した。

 

 椎乃の荷物を――。

 

 

 

 渡すため、今から追いかける。

 梓に任せ、明日渡してもらう。




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