誰よりも、あなたを愛しています。

 

 ずっとあなたは私の隣にいて、だからこそ私はずっとあなたを見ていた。

 

 気が付けばあなたを好きになっていて、愛していた。

 いつも隣にいて欲しくて、そうなることを求めた

 それは偽りの無い、本当の気持ち。

 

 そして、だからこそ。

 

 

 

 私はずっと、あなたを忘れません。

 

 

  偽りの「真実の愛」

 

 

 

 この世に生まれて、幸せと感じたことはあまり無かった。

 毎日は変わることなんて無い平凡な日常で。

 やることなんてとうの昔に探すことを諦めた私は、そんな日常をただ怠惰に過ごしていた。

 楽しいことなんて、当然そこには無かった。

 

 あったのは、ただただ、満たされない心。

 何をやっても満ちる事なんて無い、乾き果てた心だけが私にはあった。

 

 そんなくだらない毎日の繰り返し。

 この一生を終えるまで、私はそんな世界の流れから外れることなんて出来ないと思っていた。

 

 

 

「だから、衝動的に自殺しようと思いついた? 馬鹿か、君は」

 

 

 

 そう――あなたに、こうして出会うまでは。

 

 

 

 

 

 

 二〇〇八年初夏、某所。

 

 

 

 私は、自殺をしようと考えた。

 

 

 

 意味は、実は特に無い。

 自分がこうして生きている意味と言うものを見出せなくて、この人生にもなんの未練もありはしなかった。

 だからそんなことを考えている私が死んで、果たして悲しんでくれる人がいるのか。

 そう考えて、試したくなっただけ。

 

 周りがどう考えるかは分からない。

 でも、本当に、それだけ。

 

「馬鹿か、君は」

 

 だけど、それは叶わぬこととなった。

 心の準備は初めからする必要は無く、でも少し身だしなみを整える程度の余裕を持ち、いざ自殺と思った所で、私を引き止める存在が現れたのだ。

 それが、この名も知らぬ彼だった。

 

 先と同じ台詞の、最後の部分だけをもう一度彼が繰り返す。

 

「馬鹿って、何。初対面なのに失礼じゃない?」

「そんな理由で、自分の命を投げ捨てようとしてる君なんて、馬鹿以外の何でもない」

「人の考え方に口挟むなんて、お偉いことだね」

「少なくとも今を生きてる僕から見れば、君を止める権利と義務ぐらいはあってもおかしくないぞ」

 

 しかも私を止めた彼は、何処にでもいるような常識人だった。

 それが私を止めたんだと考えると、ちょっとだけ腹が立つ。

 

「別に無視すればいいよ。私が死んだ所で、この世界が変わることなんてないんだから」

「だから、馬鹿か。君は」

「……三回目」

「君の考えなんて、僕の知ったことじゃない。でもこれだけは言えるぞ」

「……何よ」

「思い上がるな、馬鹿」

 

 四回目の罵倒。

 そして、さらにわけの分からないことを言われた。

 

 当然のように私はその言葉にむっとして、少し語調を強めて返す。

 

「さすがにそこまで言われる謂れは無いんだけど。私がなんで思い上がってるって言うのよ」

 

 それどころか、今の私は随分と自虐的なはずだ。

 世界に意味も見出せず、自分から死のうと考えてみたぐらいなんだから。

 

「その考えがもう思い上がってるって言うんだ。君一人死んだ所で、世界は変わらないって言ったよね」

「えぇ、何か間違ってる?」

「間違ってるに決まってる」

 

 即答された。

 何の躊躇いも無く、彼は僅か一秒にして私の考えを蹴った。

 

「君一人でも、世界は変わる。君が死んで、残された家族はどうなる? そして君が死ねば、警察だって動く。そうすれば当然、もうそれは君一人の問題じゃないだろ」

「ありがち過ぎる言葉ね」

 

 本当、腹が立つぐらいの正論。

 だけど一つだけ、彼は思い違いをしている。

 

「でも残念。私に家族はいないから、悲しむ人なんていないのよ。孤児だから、私」

 

 そう言うと、彼の顔に初めて戸惑いと驚愕の色が表れた。

 ざまぁみろ、と心の中で言ってやる。

 

 人を見かけだけで判断するから、そうなるんだ。

 

 もっと驚いて、さっさと私を見捨ててくれれば、それで全部片付くだろう。

 だから私は、今の隙に追い討ちをかけることにした。

 

「あと、何か知らないけど、周囲から見たら私って結構美人らしいね。だからそのせいで、妬まれて学校では苛めの対象だし。まぁ今では、それがいい加減嫌になって登校拒否児になってるけど。それと、私って今、叔母さんの家に預けられてるんだけどね。蹴られるは殴られるは罵られるわ。いい感じに私の生活、ボロボロにしてしてくれちゃってるんだよ。……あぁそうだ、そう言えば少し前、私を苛めてるリーダー格みたいな奴にレイプもされたわね」

 

 私は、それら全てを坦々と告げる。

 嘘だから、ではない。

 それらは無論本当のことだ。

 

 ならばどうして、私はこんなにも冷静なのか。

 簡単だ。

 

 

 

 初めから私は、自分の存在意義なんて分からないから。

 

 

 

 苛められようが、暴行を受けようが、レイプされようが。

 自分がどうして生きているのか、その意味すらも分からない私からすれば、結局はそんなことすら、どうでもいいことだった。

 ただ、それだけ。

 本当にただ、それだけのこと。

 

「そんな私だけど。本当にあなたには、私を止める権利と義務があるの?」

 

 今までに、こんなことは幾度かあった。

 別にその時は自殺をしようとしたわけではないが、それでも周囲からそういう感じのことを言われる程度のことは何度もやってきたと思う。

 でもその度に、私はこういうことを言う。

 すると周りは、面白いぐらいに動揺してくれて、そして結局は誰もが私に同情や非難の目を向け、去っていく。

 

 本当、初めから私を本気で止める気が無いなら、せめて私には関わらないで欲しいのに。

 

 

 

「あるに、決まってる」

 

 

 

 だから次の瞬間。

 彼の口から放たれたその言葉に、今度は私が驚愕をする番だった。

 

「君の今までにどういうことがあったのか、僕は知らない」

「だったら――」

「そうだな。君がその出来事で本当に絶望して、心のそこから自殺を望んだのなら、僕に止める権利は無いかもしれない。けどな、それでもやっぱり君は、そこまで本気で自殺をしたがっていたのか?」

「な……」

 

 ……どうして、なんだろう。

 今まで私を見てきた人達は皆、こういう考えを持ってる私を非難し続けてきたのに。

 何で彼はこうやって、真っ直ぐに私を見ているのだろう。

 分からない。

 見ず知らずに私に、どうして彼はここまでして接するのかが。

 

「そんなはず、ないよな。君は確かに、自殺に関しては思いついただけだったはずだ。君自身がそう言った」

「それは……そうかもしれない、けど」

「だったら話は別だ。そんな君を、僕は放ってはおけないし、おきたくもない。別に絶望してるわけでもないのに、そうやって命を落とそうとするなんて。間違ってるんだよ、馬鹿」

 

 それは五度目の罵倒だった。

 

 だけど何でだろう。

 その五度目の罵倒。

 彼と話をしてきた中で、その五度目の罵倒が、何故か心に一番強く響いた気がした。

 

 だが、彼の言葉はそれだけでは終わらない。

 ただでさえ私の予想を覆して、驚愕させていると言うのに、

 

「君は言ったな、悲しむ人間なんかいないって」

 

 続けられた彼の言葉は、

 

「だけど僕は少なからず君と関わった。加えて、僕はこれでも結構世話とか焼く人間だ。だから君が死んだら、僕は悲しむぞ」

 

 私をそれ以上の驚愕に陥れるのに、充分な言葉だった。

 

 

 

 二〇〇八年、初夏。

 それが私と彼の、最初の出会いだ。

 

 

 

 

 

 

 二〇十年、初春。

「……信じられない」

 その光景に、私は絶句していた。

 閑静な住宅街の一角にある小さなアパート。

 その一室が、今からおよそ二十一ヶ月前に出会いを果たした彼の住居だった。

 とはいっても、結構お金だけはあるらしく、その部屋はこの閑静な住宅街には似合わない、六畳間二つにキッチン、トイレ、風呂完備というなかなかの部屋でもあった。

 で、そんな部屋の中で。

 この部屋主の彼が、大量の服やらゴミやらを散乱させ、その部屋の中央でばったりと倒れ、死んだように眠っていた。

 

 

 

「……どうやったら、一週間見に来ないだけでここまで散らかるのか教えてよ……」

 

 とりあえず、玄関まではそんな状況、ということはなかったので、部屋を上がる分には問題は無かった。

 問題は、上がってから。

 ……足の踏み場が無いって、こういうのを言うんだろう。

 

 でも、それでも何とか足場を見つけながら、私は彼のもとに歩み寄る。

 

「ちょっと、透。起きてよ」

 

 そして、彼――もとい透の肩を揺さぶった。

 

 

 

 一年と九ヶ月前。

 あんな特異な出会い方をした私達は、その縁からあれから何度も顔を合わせるようになった。

 別にどちらから、というわけでもない。

 ただ私からすれば、話し相手なんて当時は透以外にいなかったので、私から透を誘ってただ話すという流れが多かったと思う。

 

 そしてその段階で、私は透が私と同じで既に両親を無くしていた事を知った。

 だけど、それでも透は強く生きていて、親戚の世話になることも無く、こうして親の残した遺産を使って一人暮らしを始めたらしい。

 私なんかとは、本当に大違いだった。

 生き方も、心構えも、全てが私と正反対。

 

 だけどどういうわけか、そんな私と透は意外に相性が良かったらしい。

 会えば会話は意外にも弾んだし、何より話していて楽しかった。

 そんな、言ってしまえば両極端な私達ではあったけど、そんな感じだったからか、互い同士に意識するようになって付き合い始めたのは、多分自然なことだったんだと思う。

 

 それが、初めて出会ってから一ヶ月後の話。

 

 それから私は、ちょくちょくと透の部屋を訪れるようになって、今に至っている。

 始めは、私と同い年のくせにこんないい部屋を使ってることに、少し驚いたりしたのだけど、今では当然そんなことは無い。

 と言うよりは、今では若干助かっている部分だってある。

 

 透と付き合い始めてから、私は確かに変わった。

 自分と言う存在を、楽観視しないようになったとでもいうのだろうか。

 自分から死のうなんて絶対に思わなくなったし、喜怒哀楽の感情が表に出やすくなったと思う。

 

 そして何かがあれば透が慰めてくれて、励ましてくれる。

 逆に透に何かがあれば、私が同じように接する。

 そんな存在なんてただ鬱陶しいだけだと思っていたのに、今ではそんな存在が傍にあることを、今の私は望んですらいた。

 

 そしてそんなだから、私が落ち込んだりもするようになって、そういう時とかに私がこの部屋に泊まっていくことも、別に珍しいことではなかった。

 だからそういう時には、この広さに助けられてきたと言っても良いはずだ。

 

 

 

 で、現在直面している問題。

 これも付き合い始めて知ったのだけど、透の生活能力はそこまで高くは無い。

 っていうか、低い。

 私がこの家を始めて訪れた時なんかは、一体どうやって生活してきたのかがわからないほどに散らかっていたぐらいだ。

 だから私が定期的に部屋を訪れて、その度に掃除をしていたのだが……今回のこれは、いつも以上に酷い。

 

「ねぇ」

 

 もう一度肩を強く揺すると、反応があった。

 小さく唸るような声。

 その後に、やっと透は目を開けた。

 

「……沙良……?」

「うん、私」

「ぅぁー……ごめん、あと少し、寝かせて……」

「昨日、遅かったの?」

「深夜四時……」

 

 見事なまでの徹夜だった。

 またバイトか何かだろうかと思ったのだけど、本当に眠そうなのでその質問は後に回すことにした。

 

「じゃあ、勝手に片付けていい?」

「あぁ……頼むよ……」

 

 そう頷くと、透はまた夢の中へと戻っていってしまった。

 

「さてと」

 

 それを確認してから、私はおもむろにその場で着替えを始める。

 今は外出着だから、このままでは服が汚れてしまうのだ。

 もちろん、別に今更透に見られたからって、どうということは無い。

 自分を楽観視しなくなった、とはいえ、この辺りは性格の問題。

 ……いやまぁ、自分の恋人に着替え見られるのは恥ずかしいと言えば恥ずかしいけど、隠す程ではないのだ。

 でもやっぱり今更なので、それは割愛しよう。

 

 荷物から汚れてもいいようなジーンズとシャツを出して、それに着替える。

 そしてその後、私は回りをぐるりと部屋を一見。

 

「……戦争だなぁ」

 

 長くなりそうな、私の戦いが始まった。

 

 

 

 戦場は、ただただ広い平野と化した。

 

 という比喩表現なんかは冗談で、普通に一時間ぐらいで全部が片付いた。

 私の生活能力も、透に出会うまでの生活が生活だったためにそこまで高くは無かった。

 だけど、やっぱり何度もこういうことをやっていると、自然とそれに慣れてくるわけで。

 自慢ではないが、今ならば大半の家事を問題なくこなせると思う。

 

 まぁ、それに関して文句を言うつもりは無い。

 そのおかげと言うべきか、私は今ではあの喧しい叔母の家を出て、両親の残してくれた家で一人暮らしが出来るようになっているのだから。

 だからこれに関しては、むしろ私としてはお礼を言いたいぐらいだ。

 

「んぉ……綺麗になってる……」

「そりゃ、片付けたから。お昼ご飯、食べるでしょ?」

「あぁ……遠慮無く頂く……」

「顔、洗ってきたら? 酷い顔だけど」

「あー、昨日はこのまま寝たからなぁ……。んじゃ悪い……顔洗って――というかもう、シャワー浴びてくる」

「うん。ご飯作って待ってるね」

「あいよー」

 

 ふらふらと覚束ない足取りで、透は風呂場へと消えていった。

 まさか、風呂場で溺れたり……しないよね?

 

 

 

「ガボ……ゴボ……」

「マジで溺れてるっ!?」

 

 溺死十秒前ぐらいのところで、透は一命を取り留めた。

 

 

 

 

 

 

「ん、美味い」

「当然。愛情込めてるからね」

 

 少し前の騒ぎも何処へやら。

 既に食卓へとついた私達は、実に落ち着いたものだった。

 

 とはいっても、既に最近ではこのテンションが私達のベストだったりするので、気にはならないのだけど。

 

「沙良もさ、よく堂々とそんな台詞言えるよな」

「誰かさんのおかげでね。色々と強い女になっちゃったのよ、私は」

「まぁ、芯が強くなったのは認めるけど」

「けど、何?」

「あんまり、無茶はするなよ? 君の芯は確かに強いけど、まだ脆いんだから」

「……ありがと」

 

 その言葉を、私は否定しなかった。

 確かに透の言うことは間違ってはいなかったから。

 

 私を支える芯はまだ不完全。

 そんなことは、他でもない私自身が一番よく知っている。

 

 それでも私の心の芯が完全に崩れず、こうしてまだその存在を維持できているのは、そんな彼と果たした、『たった一つの約束』が理由でもある。

 

 

 

「沙良。大切な話が、ある」

「うん。何?」

 

 

 

 そしてその約束を、私は受け入れた。

 そうしないと――心が、崩れてしまうから。

 また、何も感じることの出来なかったあの頃に、戻ってしまうから。

 

 

 

「僕の余命宣告が、一ヶ月を切った」

「…………そ、う……」

 

 だから私は、約束をした。

 

「もう君は充分に強い。だから、安心して僕は約束を果たせる」

「……うん……」

 

 

 

「だから――別れよう、沙良。僕達自身のために」

 

 

 

 『心臓に重い病を抱えた透の余命が、一ヶ月を切るまで。恋人でいられるのは、それまでの間だけ』という、私の心が本当の絶望をして、壊れてしまわないような約束を。

 死別なんて悲しすぎる別れではなく、最低限のショックで済むように。

 

 そして今――それが果たされる時がきた。

 

 迷いは、無い。

 こうなる時がいつかは来る。

 それを私はきちんと悟っていたから。

 

 でも、それでも一瞬、躊躇ってしまう。

 やっぱり、自分の心に嘘はつけないから。

 

「ねぇ、透」

「あぁ」

「今日だけでいい……。今日一日、ずっと一緒にいてほしい」

「……あぁ」

 

 だから、神様。

 

 

 

 少しだけ……この悲しい現実から逃げるための我侭を言っても……いいよね?

 

 

 

 

 

 

 そうして、私はこの家に帰ってきた。

 家族と呼べる存在なんて無い、ただ両親が残しただけの、この誰もいない家に。

 

 そして今日から、私の帰る場所はここだけになった。

 

 

 

 静寂だけが包む家の中で、私はベッドに顔を埋める。

 涙は、不思議と出なかった。

 こんなに、心に穴が開いたように悲しいのに。

 でも、心はまだ壊れずにこうしてここにある。

 それだけが今は救いだった。

 

「……真実の愛……」

 

 小説や漫画の中でだけしか聞かないような、そんな言葉が、自然と口を割って零れた。

 あぁ……そうだった。

 別れてみて初めて、私は実感した。

 

 別れの時が必ず来ると分かっていても、やっぱり私は彼のことが本当に好きだった。

 心の底から愛していた。

 それこそ、『真実の愛』何ていう言葉を当てはめてもいいぐらいに。

 

 だけど今では、もうそんな言葉すらも虚実に過ぎなかった。

 だって私と彼は、別れたのだ。

 別れた二人の間に、『真実の愛』なんて存在はしない。

 

 だからこの想いは……そう。

 偽りの『真実の愛』に、ただ縛られているだけ。

 もう何処にも無いそれが、今までは確かにあったことを、ただ自分に言い聞かせているだけ。

 

 自分にそう嘘をついて、自分の心を維持しているに過ぎなかった。

 

 だって……そうでもしないときっと――。

 

「やっぱり……耐えられない、よ」

 

 以前の私に戻るのとはまた別の意味で、心が壊れてしまいそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 その日から、私は毎日をただ平凡に過ごしていた。

 目を覚ませば、ご飯を食べて、ただテレビを見たり外をふらりと出歩いたりして、また夜になったら寝る。

 そんな日々の繰り返し。

 

 でも――そんな私を支えていたのが、やっぱり他でもない。彼の存在だった。

 しつこい女と思われても構わない。

 それでもやっぱり、彼を忘れることなんて出来るはずは無かった。

 

 もしこれがあの頃の私だったら、また自殺でも考えていたかもしれない。

 だけど、そんなことをすれば、きっと彼は悲しむ。

 恋人だからとかそうじゃないとかは関係なく、彼は初めて出会った時にもそう言ってくれた。

 だから、もうそんな考えは抱かない。

 

「かといって……やることが無いのには変わらない、か」

 

 こうなれば、本格的にバイトでも探してみようか。

 学校なんてものは、もう一年ぐらい前に中退した。

 だから簡単なことではないだろうけど、今の生活を続けるよりはいいかもれない。

 

「……駄目だね」

 

 でも考えてみて、自分でその考えを一蹴した。

 今までに何のバイト経験も無い自分が、何をするというのだろう。

 学校中退でさらにバイト経験はないとなれば、今時コンビニでも雇ってくれるかは分からない。

 

「……って、それも駄目か」

 

 だけど、考えてもみればそもそも私は、基本的に彼と付き合い始めてから彼以外と話したことなんて、滅多に無かったのだ。

 そんな私が、接客業なんて出来るとは思えなかった。

 

「本当……嫌になるよ」

 

 こんな私自身が。

 結局、彼に甘えっきりになってしまっていた私が、本当に嫌になった。

 

 

 

 

 

 

 ――

 差出人:透

 題名:無題

 

  本文

 

 あれからもう三週間だけど、元気にしてるか? こっちは今のところ、相変わらずだ。

 

 いきなりで悪いんだけど、お前の残してった荷物、回収に来てくれないか。

 しまった、とは最近になって気付いたんだけど、やっぱりこのままにはしとけないから。

 てなわけで、別れた後でこんなこと言うのも悪いんだけど……なあ。

 

 いつ来てくれも、もしくは来なくても俺は構わない。その時は返事くれればいい。

 

 まぁ……正直俺も、やっぱり未練とかは残ってるし……こうした方がいいと思った。

 すっきりと、その辺は答えを出してくれた方が、俺もうれしい。

 ――

 

 

 

 それから三週間後、私の携帯にそんな彼からこんな内容のメールが届いた。

 

「久しぶりのメールなんだから……もう少し気を利かせた内容にしてよ……」

 

 でも不覚にも。

 そんな唐突に生まれた彼と出会うきっかけを見つけて。

 

 別れた当時にも流れなかった涙が、一筋零れた。

 

 

 

「久しぶり」

「うん、久しぶり」

 

 久々に訪れた彼の部屋は、既に私が通っていた頃の様子は微塵も残っていなかった。

 家具は必要最低限のものを残して運び出されていて、いつもは来るたびに散乱していた着替えなども、今では見る影も無い。

 

 そして何より、変わっていたのは彼自身だった。

 

「……随分と、痩せたね」

「まぁな。最近だと、食べ物もロクに喉を通らない」

「そう、なんだ」

 

 彼が衰弱していく様子を、出来れば見たくなどは無かった。

 だけどそれでは、また弱い日の自分と同じだ。

 辛いことも悲しいことも、受け入れないといけない。

 その強さを、私は彼から貰ったはずだ。

 

 私の荷物は、既に丁寧に詰め込まれて、たった一つのダンボールの中にあった。

 

――これだけ、なんだ。

 

 この部屋に少しでも長く私という存在を居させたくて始めた、私物の持ち込み。

 でもそれも、いざこうして纏めてみると、なんて少ないことか。

 本当に、悲しくなるぐらいにそれは少なかった。

 

「悪いな。これぐらい、送っても良かったんだけど」

「ううん、いいよそれぐらい。お金の無駄でしょ」

「……あぁ、そうだな」

 

 これを持ち上げれば、私の仕事は終わる。

 もうこの部屋に居続ける意味が無くなる。

 

 だから、持ち上げたくは無かった。

 もう心が壊れてもいい。

 彼の顔を再度見た私は、そう思っていた。

 それ程に今の私は――彼と一緒にいたかった。

 

 だけどそれは叶わなくて。

 

 結局、私はそれを言い出せるはずが無くて。

 

 私は、ダンボールを持ち上げた。

 

 

 

 そして彼の部屋を出る時。

 彼が少しだけ悲しそうな顔をしたことに、私はこの時に気づくことは無かった。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 どさり、とダンボールを机の上に置いた。

 そこまで長い距離ではなかったのだけど、やっぱり女の私にはちょっと辛かった。

 

 おかげで、普段ロクに使わない足腰が痛む。

 

 仕方なく、私はそのままリビングのソファーに横になった。

 少し休めばこの程度、筋肉痛になるなんて事は無く治るはずだし。

 

 だけどその間、私はすることが無くて、何気無く携帯の――彼から先程送られてきたメールを開いた。

 

 

 

 ――

 差出人:透

 題名:無題

 

  本文

 

 あれからもう三週間だけど、元気にしてるか? こっちは今のところ、相変わらずだ。

 

 いきなりで悪いんだけど、お前の残してった荷物、回収に来てくれないか。

 しまった、とは最近になって気付いたんだけど、やっぱりこのままにはしとけないから。

 てなわけで、別れた後でこんなこと言うのも悪いんだけど……なあ。

 

 いつ来てくれも、もしくは来なくても俺は構わない。その時は返事くれればいい。

 

 まぁ……正直俺も、やっぱり未練とかは残ってるし……こうした方がいいと思った。

 すっきりと、その辺は答えを出してくれた方が、俺もうれしい。

 ――

 

 

 

「……本当、まるで気なんて遣ってないわね」

 

 もう少し、書くことぐらいあっただろうに。

 やっぱり彼は、別れても変わらないらしい。

 

 変な所で不器用で、それでいて、真っ直ぐで。

 

「……本当に……馬鹿みたい……」

 

 

 

 でもやっぱり……彼は私の大好きな、彼のままだった。

 

 

 

 止め処なく、私の目から涙が溢れる。

 

 こんなこと、気付かなければよかったのに。

 気付かなかったら、ずっと私はこのまま居られたのに。

 

 でももう、気付いてしまった。

 彼が教えてくれたその本音に……今、気付いてしまった。

 

 少し無茶苦茶に見えるその文脈。

 こういうことはきっちりとこなすはずの彼にしては珍しい、と思って、何度かその文章を読み直した。

 

 

 

 そして私は、そのメールに込められた本当の言葉を知った。

 

 

 

 『あいしています だからあいたい』

 

 

 

 各文頭、そして文末だけを読みあげて出来上がった、僅か十四文字のメッセージ。

 

 メールの一行ごとの文字数なんて決まっている。

 だから実際には凄い文字ズレを起こしていたから、それに気付けたのは本当に偶然だった。 

 だけど、偶然にも私は、それに気づいてしまった。

 

「自分に嘘をついてるの……私だけじゃないじゃない」

 

 そうしたら、私はもう居ても立ってもいられなかった。

 

 『彼に会いたい』

 

 その想いだけが、心を満たしていく。

 

 約束なんて、破るためにある。

 それは誰が言った言葉だったのか。

 

 だけど今の私は、それに大いに同意したかった。

 

 だって――そうじゃないか。

 お互いが、自分に嘘をついてまで守る意味のある約束なんて、私は無いと思うんだ。

 

 だから私は駆け出した。

 痛む身体なんてもう気にならない。

 靴を履くのも面倒で、私は踵を踏んだまま外に駆け出した。

 

 

 

 目指すは当然、彼のもと。

 

 

 

 

 

 

 チャイムを押した数秒後に玄関から出てきた彼は、私の顔を見るなり驚愕の色を浮かべた。

 

「沙良……どうして?」

「ね……透」

 

 そんな問いには答えずに、私はただ目の前の、愛しい人に抱きついた。

 

「ちょ、沙良! 何を――」

「やっぱり、駄目だった」

「……え?」

「私、自分に嘘なんてつき続けられるほど、まだ強くなかったんだよ」

 

 そう……今まで出来ていたとすれば、それはやっぱり偽り。

 ほんの一つのきっかけがあっただけで壊れてしまうような、そんな脆いものだったのだ。

 

「私もね――『愛してる』」

「……っ」

 

 その一言で、透の抵抗が止まった。

 

「沙良……気付いて……?」

「偶然、だったんだけどね……。でも、届いたから。透の言葉」

「……でも、あれは――」

「もう、いいよ」

「ん……っ」

 

 短い口付けで、その先の言葉を奪った。

 だって、もういいから。

 私の中で、もう決意は固まっていたから。

 

「あの約束、私から破っちゃう。ごめんね」

「……沙良……」

「大丈夫……私は壊れないよ。透がいなくなっても、きっと強く生きてみせる」

「……」

「だから透も、さ。自分に嘘をつくの……やめようよ」

 

 もう、辛い日々は終わらせようよ。

 本当の『真実の愛』を、始めようよ。

 

「……あぁ。そう、だな」

「……うん」

 

 ずっと下に垂れ下がったままだった腕が、静かに動いて、私を抱きしめた。

 以前よりもずっと細くなってしまった腕。

 だけどその力は強く、二度と離さないという想いがそこにあって、私もそれを確かに感じた。

 

「愛してる、沙良。誰よりも君を」

「うん……私もだよ、透」

 

 大丈夫。

 私はまだ弱いかもしれないけど、それでももう自分を見失ったりはしない。

 あなたが居てくれたその事実があれば、私はずっとそれを糧に生きていける。

 

 

 

 そしていつの日か、あなたに認められるほどに、私は強くなるから。

 

 

 

 だからその時まで――ずっと、一緒に……。

 

 

 

 

 

 

 透。

 

 

 

 誰よりもあなたを愛しています。

 

 

 

 そしてだからこそ。

 

 

 

 私はずっと、あなたを忘れません。




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