溶けない雪が無いように、永遠に続く愛なんて無いんだと思う。

 喧騒の中、踏み均された雪の上を歩きながら私は思っていた。

 

 十二月二十五日、クリスマス。

 恋人達の聖夜なんていう人もいるみたいだけど――というか、私も数刻前までは思っていた――そんなのでたらめだ。

 

「……最悪」

 

 深々と雪を降らせ続ける空を見上げて、私は呟いた。

 いつもは少し気分が弾む雪だが……今だけはとても悲しく、冷たい。

 

 ……少しでも涙が流せれば、少しは気分も晴れるのだろうけど、どういうわけか悲しみのどん底にいるはずの私の目からは、一適すらそれが流れることは無かった。

 悲し過ぎて、乾ききったのかもしれない。

 そう私は考えて、失笑。

 持ち前のプラス思考も、今は生かせそうには無かった。

 

 

 

 

 

 

  冬空の下に、思い出を

 

 

 

 

 

 

 そろそろ一時間程経つだろうか。

 今から一時間前、私はこの時期の街のシンボルである巨大なクリスマスツリーの前で――彼氏に振られた。

 本当、唐突なことだった。

 さらにその理由が、海外へ引っ越すからだそうだ。

 ……せめて、私に飽きたという理由であってくれた方が、気分は晴れたのだろうに。

 で、結局はお互いに遠距離恋愛なんてものを続ける程の覚悟が無くて、そこでお終い。

 そこからは一時間、こうしてとぼとぼと一人で歩き回っていたのだ。

 

 ……が、そんなことを思い出していたからか。

 気が付けば私は雪に足を取られ、思いっきり顔面から汚れた雪へダイブ。

 

「……本当、最ッ悪……」

 

 雪に罪は無い。

 無い――が……そんな私を見て失笑する街の人々にも、罪は無いのだろうか。

 そこんところよく分からない。

 

――……っていうか、もう何も分からないわ。

 

「帰ろうかしら……」

 

 嘆息と共に呟いた。

 もう、こんな所にいても虚しくなるだけだし。

 こういう時は、さっさと帰って寝る。

 明日になれば少しはこの傷も癒えるはずだ。

 今までに同じぐらい辛い出来事があっても、ずっとそうだったように。

 

――うん……帰ろう。

 

 そう決めて、踵を返したときだった。

 

「ん……? 美有紀……?」

 

 不意に、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 この喧騒の中で、何故かその声はクリアに聞こえた。

 天宮美有紀(あまみやみゆき)、それが私の名前だから、聞き間違えでも無い。

 だから私は、その声が聞こえた方へ振り返って、

 

「……なんだ。幹也じゃない……」

「何だってなんだよ。失礼な奴だな……」

 

 ため息した。

 どうやら私は、やっぱり思考もまともに回らないぐらい落ち込んでいるらしい。

 振り返った先にいたのは、クラスメート兼、家が真正面で初顔合わせが生後三ヶ月という典型的な幼馴染の三枝幹也(さいぐさみきや)だった。

 よくよく考えれば、家族と付き合っていた元彼以外に私を名前で呼び捨てに呼ぶのなんて幼馴染であるこいつぐらいなのに、私はそれに気付かなかったらしい。

 

――思った以上にダメージ大きいわね……私……。

 

 これは、一日やそこらじゃどうにもならないかも……。

 

「……どうかしたのか?」

 

 そんな傷心中の私の内心を、幹也はあっさりと見抜いてそう訊いてきた。

 ……まぁ、幼馴染なんてそんなものかもしれない。

 なまじ付き合いが長い分、相手の考えてることも多少なりとも分かってしまうのだろう。

 

 でまぁ……同時に付き合いが長い分、もはやそれを隠そうという気も起こらないわけで。

 

「つい今しがた……振られてきたのよ。んで、現在私は傷心中と……そういうこと」

「……何だ……? 美有紀もかよ……」

 

 あっさりと告白した私ではあったが、同時に幹也が放った一言に思わずその顔を見た。

 

「幹也も……振られた?」

「……あぁ、まぁな」

 

 幹也の表情が沈む。

 どうやら、状況は私とあまり変わらないらしい。

 

 ……あれ、すると、何だ?

 ここにいる二人は、振られた者同士が集まっているとそういうことなのだろうか。

 

「……うわ……虚しいわ……」

「……お前が言うか? それ普通」

「うるさいわね……。心情察してくれたんじゃないの?」

「いや一言も言ってないし。――……分からないでもないけど」

 

 というより、幹也と私の今の心情は同じはずだ。

 幹也も私もそんなにモテる方じゃないし、誰かと付き合ったっていうこともほとんど無いから、やっぱり振られた時のショックって言うのは同じぐらいはあると思う。

 ……いや、別にそこまで調べたわけじゃ当然ないけど、やっぱり幼馴染っていうと色んなところから情報が入る。

 特に、身内周辺から。

 井戸端会議での情報交換って凄いんだなって思うのは基本的にそう言う時だし。

 

「それで? 幹也も今から帰るところ?」

「まぁそのつもりだ。この辺ぶらついてるのも馬鹿みたいだし」

「そ……。なら一緒に帰りましょ。私もその予定だったし」

「そうだな……。寂しい者同士、仲良く帰るとするか」

「……馬鹿」

 

 さすがに、今の状況でそれは洒落にならない。

 それを分かっているのかいないのか、幹也は薄ら笑いを浮かべていた。

 

「何がおかしいのよ」

「いや別に。美有紀と歩くのも、何か久しぶりだなってさ」

「……学校帰り、よく一緒になるけどね」

「そうじゃなくてさ、こうやって街を、ってこと」

 

 よく昔は歩いてたのにな、なんて何かを思い出しながら幹也は呟いた。

 とはいっても、何年前の話だか。

 中学校に入る頃には、もうお互いに男女関係っていうものを理解してはいたから……そうなったのは小学校六年の頃までだろうか?

 もっとも、それを大きく意識していたのはどちらかというと互いの両親で、ぶっちゃけ私達はそうでもなかったりするのだが。

 

 まぁ、確かにあの時期までといえば、何かと幹也と一緒だった気がするし、親が心配するのも頷けるけど……。

 

 それはさて置き、その当時を思い出してみて――数秒後、私もうっすらと苦笑を浮かべていた。

  

「久しぶりってレベルじゃないわね」

「だなぁ……。時間が過ぎるのってあっという間だ」

「感慨深く呟かないでよ。まだ若いんだから」

「ん、あぁ。悪い悪い」

 

 とか言いながらも、思考の一割ぐらいは過去の追想に走っていそうな感じだった。

 まぁ……一度意識してしまったから、私もそれは同様なのだけど。

 

 そう、思い出される、楽しかったあの頃の過去。

 

 二人で商店街の店に悪戯して回ったこととか。

 

 楽しかったあの頃の過去……。

 

 小学校の授業をサボって町内探検に出かけたこと、とか。

 

 楽しかったあの頃の……。

 

 私が深夜に家を抜け出して、幹也の家に勝手に泊まりに行ったり……とか。

 

 楽しかった……。

 

 幹也が小学校のガキ大将と衝突して、でもどういうわけか勝っちゃったこと……とか……?

 

 楽し……って。

 

「……思い出して分かった! 私達の間にまともな思い出無いわ!」

 

 耐え切れず、思わず叫んでいた。

 うん、何だこの楽しすぎる過去。

 

「……あぁ、俺もそこんところ否定できない」

 

 本当何やってんだ、幼かりし頃の私達……。

 ……でも、何でガキ大将と戦ったんだろう――って違う。

 

「思い返すと……完全に悪ガキじゃない。私達って」

「周りの反応を面白がってる節もあったんだけどな……」

「確かにそうだったわね……」

 

 正直、思い出って思い返さないと分からないものだから、今まで気付かなかった。

 案外子供の頃の記憶って重要なのかも、何て思ってみたりする。

 や、もちろん意味も無く、何となくだけど。

 

「一緒に風呂、何て子供らしい行動もあったけどな」

「あー……あったわね。さすがにそれは小四ぐらいで両親達が止めたと思うけど」

 

 あくまで、私達ではなかったりする。

 

「……なぁ。普通こういう会話って、女子は否定しないか?」

「今更でしょ? っていうか初めからそういう反応求めてるなら話振らないでよ」

 

 自慢ではないが、幹也になら着替えを見られても平常心でいられる自信がある。

 街を一緒に歩いたり、何てことは無かったものの、それでも兄妹のように育ってきた私達だ。

 今更そんなことでどうこうなるわけでもない。

 

「いやな。美有紀の女子らしい反応っていうのもレアだと思って」

「……叩いていいかしら?」

「ほら、そういうところと――ぶっ!?」

 

 普通に叩いておいた。

 もちろんパーで、頬を。

 

「……あのー美有紀さん? さすがにこれは遠慮が無さ過ぎる気がするのですが? っていうか普通、ああ言われたら手を引っ込めるところだと思いますよ?」

「あはは、何言ってるのかしらね?」

「笑顔でグーはやめてください」

 

 結構強くやったから当たり前のように頬を赤くする幹也に対し、私はあくまで笑顔。

 実は、こういう関係も昔からだったりする。

 さっきはシリアスな雰囲気だったから違ってはいたが、基本的には幹也がボケで私がツッコミである。

 まぁ、実際には友人達談であり、私達は無自覚だけど。

 

 ……と、そこまで考えて、私は気付く。

 そして同時に苦笑を浮かべていた。

 

――兄妹みたいな幼馴染っていうのも……結構いいものなのかもね。

 

 心を押し隠すことなく気兼ねなく話せることも、こういう自然だけど身近な関係が成り立つ所もそう。

 そして――結局は話しているだけで、いつもの私を思い出せることも、そうだ。

 

――失恋のショックよりも幼馴染との会話の方が大きいって、どんなのよ。

 

 なかなか無いんじゃないだろうか、こういう気持ちは。

 もちろん、先に言っておくが恋なんかじゃない。

 だが友情かといえば、それも違う。

 例えるとすれば――そう。

 家族とかに対して感じるような、温かい気持ちだ。

 

「ねぇ、幹也」

「ん?」

 

 それを自覚しても、不思議とまた悲しみの連鎖に飲み込まれるようなことは無かった。

 やっぱり気付いたとしてもこっちの気持ちが大きいことに変わりは無いらしい。

 

「晩御飯、一緒に食べに行かない? どうせ帰っても、家族も出払ってるし」

「何だそりゃ。デートのお誘いか?」

「まぁ、そうね。どうせお金はまだ余ってるんでしょ?」

 

 性格上、彼は彼女にお金を持たせるような甲斐性無しではない。

 だから今日という予定が全部潰れた今、無銭ということはないと踏んだのだ。

 

「……お前な、失恋した相手に向かってそれを言うか?」

「まぁ普通なら言わないけど。でも、別に平気でしょ?」

 

 それは予感でもなければ勘でもない。

 ここまで来ると、幼馴染だからの一括りで言うのもどうかとは思うが、やっぱり分かるのだ。

 幹也のある程度の想いが。

 そして同時に、多分それは幹也も同じだ。

 やっぱりそれも、分かる。

 

「考えてることは一緒です、ってか?」

「そう言うこと。で、どうかしら?」

 

 答えなんてもう分かりきったようなものなのに、私は意地悪く訊いていた。

 だけどそんな私の性格も分かっているからか、幹也も軽く苦笑を浮かべて、

 

「奢りは勘弁な」

「当たり前よ。私が人に奢らせる奴に見える?」

「……美有紀と付き合う奴、大変だろうな」

「まぁ、甲斐性の見せ所は重要ね」

「自分で言うかよ」

 

 お互い、微笑交じりにそんな会話を行いながら。

 自然と私達の足は、既に帰路を外れていた。

 

 

 

 

 

 

 少し小洒落た、穴場的なレストランで食事を済ませた私達の姿は、何故か近くの小さな公園にあった。

 別に雰囲気とかそういうものがあったわけではない。

 どうやら家族が家にいないのは私だけだったわけでは無いらしく、どうせなら失恋者同士で楽しもうという方向性で話が決まった。それだけのことだったりする。

 

 そんなわけで。

 

「暇ね」

「あぁ」

 

 当然そこに目的が生じていたわけも無く、私達はベンチに腰掛けて途方に暮れていた。

 端から見ればなんとも馬鹿らしい光景だろうが、仕方ない。

 だって本当に暇なんだから。

 

「何かするか?」

「何かって、何よ」

「折角雪も降ってるんだし、雪合戦とか」

「……子供ね」

「そうか? 全力勝負でなら子供っぽいとは言えないだろ」

「全力勝負、ね」

 

 それはそれで子供っぽい気もするが、敢えて突っ込まないでおく。

 だって、私は案も思いつかないのだから、幹也の案を否定する権利なんてないのだ。

 故に私は立ち上がった。

 

「鬱憤晴らしに丁度いいわね。やろうかしら」

「そうこなくっちゃ」

 

 幹也も冗談とかでは無かったらしく、同じように立ち上がると不敵な笑みを浮かべた。

 そして、どちらからともなく距離を取り――戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 死闘だった。

 

 

 

 

 

 

 息を荒くし、二人はお互いにもたれかかるようにベンチに腰掛けていた。

 運動をしたあとの独特の疲労感や爽快感に満たされながら、お互いに足をぶらぶらと振る。

 

「……意外と燃えるわね。雪合戦」

「あぁ……まさかここまでとは思わなかった。

「……雪に氷を入れるのは反則よ」

「……雪に石を入れるのも反則だ」

「反省は――うん……してない」

「あぁ……俺も」

 

 とことん駄目な幼馴染同士である。

 まぁ、そこが逆にいいんだけれど。

 

 二人で雪の降りつづける空を見上げ、しばしの静寂。

 

 

 

「……小学校の頃さ」

 

 

 

 不意と。

 幹也が口を開き、そんなことを言い出した。

 が、こういう状況からそういう話になるって言うのは雰囲気的に合っている気がしたので、私も下手に突っ込まずに静かにそれを聞くことにした。

 

「俺がガキ大将ひっ捕まえて……喧嘩したことあっただろ」

「えぇ……あったわね」

 

 それは私の記憶にもある。

 さっきも思い出した鮮明な記憶の中で、何故か理由だけが不鮮明なその出来事のことだ。

 

「あいつ等さ、小学校で美有紀の陰口叩いてたんだ。俺に付き纏う小心者だの、ひっつき虫だの、ってな」

「……へぇ」

 

 素っ気無く返答する。

 

 もちろん、それは私も知っていた。

 そういう嫌がらせやイジメに近いことは、当然当人には分かるものなのだから。

 

 だけど、私自身がそれに怒ることは無かった。

 だってそれは紛れも無い事実だし、私自身もそう思ってたから。

 でも……いつ頃からか、それは不意と途切れたのだ。

 

 さっきも私は思ったが、思い出なんていざ思い返してみないと分からないものだ。

 だからそこでふと、私はまさかと思った。

 

 思い出される当時の記憶。

 そして――それに繋がる、幹也の言葉。

 

「美有紀は何にも言いやしないだろ。どうせ、その通りだからとかでも思ってたんだろうけど。でも、俺は納得できなくてな」

 

 ある意味、予想通りに。

 ブチ切れた、と彼は苦笑交じりに口にした。

 

「気が付いたら、あいつ等をぶん殴って本気の喧嘩だったよ」

「……馬鹿ね」

 

 もうある程度の予想は出来ていたから、私の反応は淡白なものになってしまった。

 ……いや、というよりは。

 それ以外の反応が出来なかった。

 

 幹也がそんな理由で喧嘩に走るとは思わなかったのも理由の一つだが……。

 何より、それが私のためだったっていう事実に、それ以外の反応を思いつかなかった。

 まぁ幹也もそういう反応は予想してたのだろう。

 私の言葉に軽く苦笑を浮かべ、しばらく口を閉じた。

 

「知ってるか? 俺、雪って好きなんだ」

「……えぇ知ってる。昔から何度も聞かされたしね」

 

 そして、また唐突な話題変換。

 だが、やっぱり私は別に戸惑わなかった。

 多分、心のどこかで理解してたんだと思う。

 この話とさっきの話は、繋がってるのかも、って。

 

 確か実際にそれを聞くようになったのはは、中学校に入った辺りからだ。

 それはもう、しつこいぐらいに聞かされたのを覚えている。

 ただ、理由だけはさすがに分からなかったけど、そこまでを知りたいとも思わなかったんだけど。

 

「美有紀は聞くたびに鬱陶しそうに返事してたけどさ。原因――美有紀にあるって分かってるか?」

「……は?」

 

 分かっているはずは、無かった。

 そんなこと初耳だ。

 思わず目が点になり、幹也の顔を見る。

 

 何で……幹也が雪を好きなことに、私が関係してくるんだろう?

 

「何で、私なのよ」

「……やっぱり忘れてるか、お前」

 

 いや、そうため息を吐かれても……。

 やっぱり分からないものは分からないのだし。

 

 ここまで話して隠す、という気も無いらしく、幹也は私の理解を諦めたように口を開く。

 

「あの喧嘩の後な、美有紀が俺を介抱してくれたんだよ」

「あぁ……そういえばそうだったわね」

 

 確かにその記憶はある。

 幹也が喧嘩に勝って、ガキ大将達を負かして、そして地面に倒れそうになったところで見ていられなくなった当時の私は、すぐに幹也の身体を抱き留めたのだ。

 だが――その時の私は子供の女の子で、幹也も子供だったとはいえそれをしっかりと抱き留めれる力があるはずも無く、地面に一緒に倒れこんでしまったんだっけ。

 それで確か……。

 

「それでその時さ、美有紀が周りにあった雪で、俺の頬とかを冷やしてくれたわけ」

 

 冷た過ぎると当の本人には文句を言われたけれど。

 確かに私の思い出の中に、そんな一コマを見つけた。

 

 でも――。

 

「まさか、それだけで?」

「あぁ。それ以降、俺は雪が大好きな子だ」

「……単細胞バカ?」

「……お前、言うに事欠いてそれは無いだろ」

 

 いやだって、それぐらいに単調だと思ったんだから仕方ない。

 

「それに、普通その状況で好きになるのが雪? 色んな意味で信じられないわよ?」

 

 普通、もっと先に思うことがあるだろうに。

 

「何だ? 惚れて欲しかったのか?」

「そういうわけでも、無いけれど」

 

 笑いながら幹也が言うので、私はそれ以上を言う気を削がれてしまった。

 別にそういう気持ちは無い。

 幹也はどちらかといえば家族に近くて、恋愛感情を向ける相手としては合わないし。

 

「まぁ、そういうわけだよ」

「……そ」

 

 そこで話は終わりなのだろう。

 幹也は雪の降りつづける空を見上げると、それきり口を閉ざしてしまった。

 ……だが、決してそれは居心地の悪い沈黙ではない。

 むしろ逆の、心が落ち着くような静寂。

 

「私も」

 

 そんな静寂を破るのは少し気が引けたが、それでも私は口を開くことにした。

 幹也が話してくれたのだから、私も何か話しておかないと不公平だと思ったのだ。

 もちろんそんなわけは無いのだけど、私はそうしないと気が済まなかった。

 

「私も雪、好きかも」

「ん……そうか」

 

 だけど帰ってきたのは、私の時と同じで素っ気無い返事だった。

 でも、それでも良かった。

 表面上はこんな感じだけど、それでも幹也が私の言葉をしっかりと聞いてくれていることは分かっていたから。

 

「なんか、幹也がそういう理由で雪を好きになったなら、私も好きじゃないといけない気がする」

「……なんじゃそりゃ」

「よく分からないけど。そんなものなのかなぁ、って」

「やめてくれ。まるで俺が押し付けたみたいじゃないか」

「それじゃ、極論はどう? 幹也が好きだから私も好きっていうのは」

「……それなら構わないけどさ、結局そういうのって心の底からは好きになれないんじゃないか?」

「そう? その辺は気持ちの問題だと思うけど」

 

 これは本心だ。

 どんなものでも、心の底から好きになろうって思えばそう思えると私は信じてる。

 もちろん、そんなわけないと言われればそれで終わってしまうのだが、

 

「まぁ……そう思うならいいけどさ」

 

 幹也もそこまで無粋というわけではなく、そこはスルーしてくれた。

 そんな幹也に尊敬の念を込め、私はさっさと本音を吐くことにした。

 

「本当は、ずっと昔から好きだったんだけどね」

「……どっちだよ」

「こっちが本心よ。まぁ、こっちには特に理由は無いんだけど、言うなら……子供心かしら。ほら、子供の頃って雪を見ると何だか嬉しくなるでしょ?」

「あー、それはなんか分かる気がする。今でも初雪見るとそんな気持ちはするし」

「でしょ。まぁ、私の方はそんなところよ」

「ふぅん……」

 

 そこで会話はお終い。

 今度は、二人が揃って空を見上げることになった。

 

 体勢が体勢だから自然とお互いの頭がくっつくことになるのだけれど、まぁそんなことは当然気にならない。

 ただ今は、そんなことよりもこの淀んだ空を見ていたかった。

 

 

 

 ふと、何を思ったわけでも無かった。

 

 背中と頭に感じる体温を心地良いと感じながら、私は目を閉じていた。

 そこにあるのはさっきのものと変わらない静寂だ。

 ただ、違うことが一つだけ。

 

 数時間前までは、悲しく冷たい象徴だった雪。

 だけど今、それが静かに顔の上に舞い落ちるたびに感じたのは柔らかな心地良さだった。

 ほんのりと火照った体と心を冷やしてくれるような雪を、今はとても純粋に受け止めることが出来た。

 

「……暖かいわね」

「……ん、だな」

 

 おそらくは幹也も、同じことを思っていることだろう。

 だから私が、代わりそれを言葉にしてみようと思う。

 

 この永遠と続きそうな静寂の中で感じる心地良さ。

 そのおかげで、私はまた別の意味で雪を好きになれるかもしれない、という、その想いを。

 

 

 

 不意に下げた視線。

 偶然にも、そこで私の視線は幹也の視線と合わさった。

 

 少しの間。

 

 そして、

 

「寒いし、やっぱり帰るか」

「そうしましょ」

 

 微笑み、頷きあった。

 

 

 

 ベンチを立ち上がり、二人で並んで歩いていく。

 

 雪は、まだ降り止みそうには無かった。




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