ウィンが帰宅したのは、郁也が帰宅したその三十分ほど後だった。
「お帰り。大丈夫……なのか……? それは」
それをリビングのソファーに腰掛けていた郁也が出迎え、その言葉は困惑に彩られた。
「あれ……お帰りなさい、郁也さん。――えっと、少し相手が強くて……手間取りました」
その姿は、言葉通りボロボロで。
衣服は所々が破け、汚れなども目立ち、中には、ウィンのものであろう血も付着している。
「……怪我、したのか?」
「あ……はい。でも、怪我しても治せますから、大丈夫です」
「……ならいいけど……」
どうにも、この少女と自分では『大丈夫』の基準が横に二メートル近くずれている気がする。
「とりあえず、風呂でも入って来い」
言ってから、まさか入浴の習慣ぐらいはあるよな? と少し不安になったものの、その心配は杞憂に終わる。
分かりました、と素直に頷くウィンを見てほっと胸を撫で下ろした。
「服は――あぁ、作り出せるか」
「あ、はい。でも、汚れを取ったりするのは……ちょっと細かい作業になってしまうのでやりたくは無いんですけれどね」
それが、今ウィンの着ている服のことだと気付くのに時間は要さなかった。――いやむしろ、それ以上のことに気付いてしまった。
「……なぁ、ウィン。まさかお前、その格好でここまで戻ってきたのか? 歩いて?」
そしてそれは、大きな不安となって郁也を襲った。
昨夜の、道路の謎の破壊事件。
となれば当然、その周辺に住む人々は周りを警戒するだろう。
それだけの情報のもと、考えれば出てくる答えは一つ。
……行った場所によっては、見つかったのではないか?
あー……と言葉を濁すウィンを見て、郁也は確信した。
少なからず、見られてる。これはもう絶対。
頭を抱えた。ついでにため息を吐いた。
せめて、ウィンがこの家に入るのを見られていないことを祈るばかりだった。
まぁ、実を言うとその予想や確信は外れていた。
実際は周辺の住民は周りに警戒するどころではなく、同じことが起きるか起きないか、という恐怖心やら好奇心を抱いていたせいで、
まぁもっとも。
事態はそれよりももっと凄まじい方向へと向かっていることに、郁也は気付いていない。
そしてそんな感じで、非現実的な共同生活は初日を終えた。
Chapter4 動き始める事態
「襲撃の感覚が狭まってきているみたいなんです」
二日目の朝食時。ウィンの口から最初に出た言葉はそれだった。
「襲撃って……あの変な奴等か?」
と、その発言にウィンが小首を傾げる。
「……えっと、説明、しませんでしたか?」
「短期間でそんな話を忘れるほど、俺は馬鹿じゃないけど」
「うわぁすいません」
ちなみに言わずもがなだが、その説明とは当然その『変な奴等』に対するものだ。
「少なくとも俺が認識してるのは、あれがこの世界の生き物じゃないってことと、敵だってこと。それだけだ」
まぁこの世界風に言えば化け物、と言ったところか。
「えっとですね、あれの総称はギルディスっていって、郁也さんの言う通り、この世界の生き物じゃありません。私達の世界の、言わば魔物に近い存在です」
「……まぁ、魔物って言われてもピンと来ないけど」
郁也からすれば、別世界の生き物も魔物も理解し難いものだ。
なので、言い換えられたところでしっくりくるはずもない。
「でも、何でそんなのがこっちの世界に来るんだよ。ウィンはともかく、あいつ等までウィンみたいな能力を持ってるのか?」
「いえ、そういうわけではないはずなんですけれど……」
「『はず』?」
ウィンにしては珍しい言い方だった。
その理由も、ウィンならば既に分かっているものと思っていたのだが――
「私にもどういうわけか分からないんです。ギルディスには世界間に干渉する能力を持っているはずがないんですから……」
長い間敵として対立していたからなのだろう。
その全てをまるで理解しているかのような言い方に、郁也も納得の頷きしか返せなかった。
「ともかく、ギルディスの襲撃の感覚が狭まっているのは確かですから、郁也さんもある程度は身の回りに注意してください。前みたいに心で話してくれれば、いつでも私と連絡は取れるようにしておきますから」
「じゃあ、そろそろ俺は学校へ行くけど、昼飯は冷蔵庫の中に入れてあるからレンジで温めて食ってくれ」
「はい。えっと、教えてもらった通りに使えばいいんですよね?」
ウィンの世話もすることで幸いだったのが、その記憶力の良さだった。
学校や、冷蔵庫などの家具。この世界のことなどなど。そう言ったウィンにとって未知であることでも、ウィンには一度説明をしただけでそれを完全に理解して記憶した。
だから心配なく、郁也もこうやって学校へ行くことが出来るのだ。
……まぁ、ある程度は機械音痴な部分もあるのだが、致命的ではないのでよしとする。
「それじゃあ行ってくる。もし何かあれば、そっちから連絡してきてくれ」
「分かりました。行ってらっしゃい、です」
「……これは一体、何があったんだ?」
それが学校に着いた郁也の第一声。
朝の喧騒――とは少しばかり違う騒々しさに包まれているのは、既に見慣れている学校の校門だ。
だが、そこにいつもの見慣れた登校風景は無い。
何故ならば――学校の一部が、見事なまでに抉れ取られていたのだから。
「知らないよ……。昨日は日曜日で先生もほとんどいなかったらしいから、何があったのか見た人なんていないんだから……」
いつの間に来たのか、隣からはため息混じりの華奈の声。
「昨日に引き続き、もうテロかなんかじゃないかって囁かれてるけど……テロのレベルじゃないだろ、これ」
そして同じく薫の声。
もう何がなんだか、と言う感じに両手をあげ、すっかりお手上げモード。
だが。
――まさか……
それを聞く郁也の頭を過ぎるのは、昨日の出来事。
『……ウィン』
そしてその出来事の中心――というか当事者へと、その言葉を向けた。
『あ、はい。どうしましたか?』
昨日の如く頭に響くウィンの声。
だが、その声に悪気のようなものは全く含まれては無い。
まぁ、それも当然だ。
ウィンは学校が如何なるものか郁也から説明を受けたにしても、その学校がどういう場所で、どういう形のものなのかはしらないのだから。
『お前、昨日の戦いで何か建物ぶっ壊しただろ。絶対に』
『え……えと、壊したというよりは壊されたと言った感じの方が……』
『一緒ーっ!』
『ひぅっ』
犯人、確定。
とりあえず、帰ったらあの少女にはこの世界の常識から叩き込んだ方がいいのかもしれない。
というか、それぐらい能力で直せよ。
「結局、修理が終わるまでは休校……かぁ」
学校より出てきた先生からその連絡を受け、一同は暇つぶし――もとい、日向ぼっこをしていた。
学校が休校になることなど当然の如く予想できなかった三人は、特に用事があるわけも無い。
だから、薫の提案で今は例の丘の上で横になっていた。
あぁ吹き抜ける風の心地よいこと。
「俺等はともかく、三年生はキツいよなぁ。受験ももうすぐなのに」
「まぁな……」
――むしろ、今は俺の精神状態の方がヤバいです先生
「というかさ。郁也、さっきから顔色悪いよ? 大丈夫?」
「もう大丈夫と強がるのも難しくなってきたな……」
いやもう本当に。
その言葉の真意が分からなかったらしい――まぁ、それが当たり前だが――二人は、ただ首を傾げる。
「まぁ、あれだよ。しばらく学校も休みなんだから、その間に体調を整えて――」
何気無い、ただこちらを心配してくれた華奈の言葉。
だがその言葉は、不自然なまでに巻き起こった風と衝撃によって掻き消された。
「「――え?」」
呆けたような二人の声。
あまりに場違いなその声は、何故か郁也の耳に途絶える事無く届いた。
トン、と軽い衝撃。
それは以前のように自分が吹き飛んだ時のものよりとは遥かに軽いもの。郁也自身が、隣にいた二人を突き飛ばす際の衝撃だった。
それを郁也は知っている。
だから、それ故の行動だったのだ。
無意識ともいえる反応で、二人をこのギルディスから離れた方向へ突き飛ばしたのは。
そしてその刹那。
瞬間的に狙いを郁也へと定めたギルディスの、鋭利に尖った足が郁也へと向けて放たれた。
だがその一撃は、
「【盾】!」
幼き一人の少女の、その手に現れた盾に防がれた。
「ナイスタイミング……ウィン」
「あはは……ギリギリでしたけど……」
互いに苦笑を飛ばし、ウィンは正面のギルディスへと。郁也は後ろの二人へを顧みた。
「ここは私が引き受けますから、郁也さんはお二人を連れて家に行ってください。気配遮断の結界が張っておきましたから、追われることはないと思います」
「了解、気をつけてな」
こくりとその言葉に笑みをもって頷くウィンを確認すると、郁也は二人の腕を引っ掴む。
「走るぞ!」
「え……あ……ちょ……」
「待てって……おい……何がどうなって――」
混乱も当然のこと。
だが、そんな二人に構わずに郁也は全力でその場から駆け出した。
「何なんだよ! あの化け物はっ!」
ダンッ! と机が叩かれ、その上のコップが倒される。
中にまだ並々と入っていたお茶もこぼれるが……誰も、気に留めない。
「説明してよ……郁也。知ってるんでしょ……全部。ねぇ、郁也」
混乱が場を支配していた。
常識を逸脱した存在との遭遇。
それだけでも十分な衝撃があったというのに、続いて現れたウィンの存在。そして、その両存在を知る、郁也の存在。
全ては混乱を煽る材料にしかならなかった。
はい、冗談です、で済まされる話では無いのだ。
だが。
「……少し、待とう」
郁也は口を開こうとしなかった。
先ほどから、その言葉の繰り返し。
何度も何度も繰り返し、二人の混乱も既に最骨頂へと達していた。
……だが、郁也が思うのは、二人に知られたことによる不安でも、混乱でもない。
ただ思う。
親友で、大切な存在の二人をあんなものに巻き込みたくは無い。
もう済んだことのはずなのに、郁也はそう思っていた。
巻き込んでしまったではなく、
それはまるで、まだその状況が訪れていないかのような言い回しだ。
……だが、それは間違いではない。
何故ならば、その理由は一つ。
「ウィン、終わったか?」
「はい。今、帰りました」
今から、そんな状況を
ウィンの再びの登場に体を硬直させる二人を他所に、郁也はそのウィンへと言葉を送る。
「二人の中のさっきの記憶、消せるか?」
大切な彼等を、守るために。
「はい。大丈夫です」
事態は動き始めていた。
ゆっくりと……だが、確実に。
先ほどの出来事を、ウィンの力で半強制的に忘れさせられた二人は、たった先ほど不思議そうに首を傾げながら澄川家を後にした。
そしてその場に残るのは郁也とウィン。その二人だけだ。
「……今度は、さっきの程度じゃすまないかもしれません」
場の沈黙を消し去ったのはウィンからだった。
低い、だがしっかりとした口調でその言葉を紡ぐ。
「……だろうな。俺にもそれぐらいは分かるよ」
そして対する郁也の表情は、そんな台詞に関わらず負の感情は見受けられなかった。
……いや、それも当然だ。
既に郁也に迷いは無かった。
「だから、戦うよ、俺は。ウィンと一緒に」
最初の言葉を覆すその一言。
確かに自分は、そんな大それたことが出来るなど今でも思ってはいない。
だが、それでもだ。
それでもそんなことを言っていて、ただ大切な人達が傷つくことなど、見ていられない。
ならば、せめてそんな人達を守ることぐらいはしたい。
守れるぐらいの力は、欲しい。
「いいんですね?」
確認のために紡がれたそのウィンの言葉。
郁也は、もう迷わない。迷う事無く頷きを返していた。
「でしたら、行きましょう。私達の世界へ」
ファンタジー風味に溢れたその台詞。
もう郁也は、その言葉に何ら特別な感情を抱きはしなかった。
ただ、郁也は思うだけ。
守る、と。
大切な人達を。守りたいと思う人達を傷つけはしないと。
それだけを胸に、郁也は幻想卿への扉をくぐる。
あとがき
皆さんどうも、昴 遼です。
どうにも、このRAGNAROK。更新が多いですね。はい。
原作が無茶苦茶であっただけに、どうにも気が焦ってるのかな?
まぁ、いいです置いときます。
さてはて、やっとこさ次回から異世界へと突入です。
しかし、華奈達の記憶を消す、というのは完全に原作に無い設定でしたね。
まぁ、この先どうなるか、お楽しみにしていてください。