「ここ、何処だ?」

 最初の一日は、そんな間抜けな台詞から始まった。

 知らない天井に知らない部屋に知らない空気。

 まぁ、それが昨日眠りについた部屋とは違うのならばその反応も頷けよう。

 だが、当の隼人本人といえば、

「……つーか、眠い……」

 ただ単に見事に寝ぼけていただけだった。

 

 

 

 第三話 登校、転入

 

 

 

「おはようございます、麻子さん」

 ダイニングへ向かうと、朝食こそ用意はされていなかったものの、麻子が台所へ向かっているところだった。

 ……朝に誰かが台所にいる光景、万歳。

 と、その挨拶で隼人の存在に気付いたのか、麻子は手の動きを止めるとこちらを顧みる。

「あら、おはようございます。隼人さん。早いんですね?」

「いつもはもっと早いですよ? 俺、武術とかをやってて、その鍛錬のために起きるんで」

「あぁ。そう言えば杉矢さんもそんなことを言っていましたね」

「まぁ、今日は慣れてないみたいで。起きたらこんな時間でしたけれど」

 あぁちなみに。

 隼人の言うところのこんな時間――それは六時三十分。

 充分早いと言うに。

 

「春名も隼人さんぐらい早く起きてくれると助かるんですけれどね」

「? あいつって、朝弱いんですか?」

「いいえ。普通なんですけれど、やっぱり早起きしてくれた方がいいじゃないですか」

「確かに」

 どこの世の親も、子供が寝坊する危険のある時間に起きてくれるのは嫌なのだろう。

 ……まぁ我が家の場合、寝坊=起こしてくれる人がいない=遅刻。という公式が成り立っているので遅刻は消して許されないのだが。

 しかもその場合、朝の一声すらないのだからこの隼人の早起きもある意味その家庭事情の結晶とも呼べるかもしれない。

「というか、だったら起こしてきましょうか? そこまで寝起き悪い方じゃないんなら、ですけれど」

「大丈夫ですよ。あの子は時間になればしっかり起きてくれます。それに、寝起きもいい方ですしね」

「ん、了解です」

 

 そんな会話をしていた、その僅か五分後。

 ドシン! バタン! ドスン! とか、凄まじい音が羽水家に響き渡った。

 そして全く間を置かず、

「い、痛ぁぁぁぁっ!」

 甲高い悲鳴が上がる。

 ……いや、考えるまでも無くその悲鳴の主は明らかなのだが……

 というか、何をやったんだろう、という点の方が疑問だった。

 音から、あれは間違い無く階段を滑って転んで落ちました、の図だ。

 しかし……いくら朝とはいえ。十月の朝の空気は冷えて体も上手く動かないとはいえ。多少は寝ぼけることもあるとはいえ。普通、自宅の階段でそんなことは普通は無いと思うのは自分だけか。

 と、そんなことを考える隼人なのだが、助けに行く気は無いらしい。

 触らぬ神になんとやら、である。

 

「少しは心配しないの!?」

 そして一分後、触らなかったはずの神が絡んできた。本来なら女神……と呼んでもいいはずのその容姿も、この時限りは鬼神と化していたが。

 というか、髪を乱して半分涙目で目を見開いているその様子は、何気に怖い。

「そもそも、何で階段から落ちたのかすら原因不明なのに何を心配しろと」

「とりあえず体の心配でもするのが普通ーっ!」

「……大丈夫か? と素直に聞けないのが俺なんだ」

 瞬間、問答無用に叩かれ、ついでにその勢いで椅子から落ちた。

 ただその際、隼人が本能的動作で咄嗟に春名の腕を引っ掴んだため、二人同時に床へと倒れていたが。

 まぁ、共に自業自得ということである。合掌。

 

 

 

「隼人君、うちの学園の制服似合ってるね」

 やっと場も落ち着き、三人共が食卓を囲んだ時の第一声が春名のそれだった。

「俺の学校はブレザーじゃなかったからな……違和感が」

 それを、ブレザーの裾を自分で摘み上げながら隼人が返す。

 そうなのだ。

 隼人が今まで通っていた学校が詰襟の学生服であったのに対し、今隼人が着ている学園の制服はブレザー。

 なので、感じる違和感はかなりのものだったのだ。

「そうなんだ? だったら、少しずつ慣れていかないと」

「そうですね。ここで生活する以上、それぐらいのことには慣れたほうがいいかもしれません。……特に、冬に入った後とか」

「……え、寒いんですか? ここ」

「最低気温は間違い無く氷点下にはなりますね」

「でも、冬の真っ只中の時だけ……って、隼人君、どしたの?」

「実家に帰る」

 寒いのが全く苦手な隼人少年であった。

 

「で……十月初めにしてこの気温ね」

 外に出た隼人を待ち構えていたのは、もう冬に入っているんじゃないかとも思わせる冷たい空気だった。

 玄関に掛けられていた温度計によれば、今朝の温度、実に十度近く。

 洒落にならないっていうか寒すぎである。

「こりゃ……ブレザーの下にセーター着てきて正解だったな」

 準備するに越したことは無い。それを改めて実感する時だった。

「慣れればマシになるよ。というか、慣れないと冬場乗り越えれないよ?」

「凍死者でも出るのか、この街は」

 そんな街、嫌だ。

 というかどんな街だろう、それは。

「そんなんじゃないけど、単なる比喩表現だって」

「どっちにしろ寒いことは明白だろうが。それに比喩って言葉の使い方間違ってるからな、お前」

 言い切ってから、はぁ、とため息一つ。

 

 本当に。この吐き出される白い息が恨めしかった。

 

 

 

「これから毎日この寒さの中を歩くとなると、今から嫌気がさしてくるな」

 学園への道を歩きながら、隼人はため息と共に吐き出した。

「大丈夫大丈夫。本当に一ヶ月もすれば慣れるから」

「……今から一ヵ月後、今の気温に慣れたとしてもその時の気温は、一体何度低くなってるんだろうな」

 というかぶっちゃけ、どの道一ヶ月はこの寒さに耐える必要があるということではないか

「んー……まぁ、五度は切るかなぁ」

「答えんでいい。よけい嫌になるだろ」

「現実逃避は良くないよー」

「うわ……何気に核心突いてきやがった」

 だがしかし、本当に嫌なものは嫌なのだ。

 仕方ないだろうそれぐらい。

 

 と、そう反論を返そうとしたとき。

 

「え、えーっ! 春名が男連れてるっ!?」

 後ろから、かなり驚愕の感情が篭った叫びが聞こえた。

 

「……どういう意味かな? 里奈?」

 叫び声にぴくりと小さく肩を動かし、振り返る春名。

 釣られ、隼人もその声の方へと振り返った。

「うわしかも結構カッコイイし……。春名、あんた何処で捕まえたのっ!」

「里奈、里奈? 私も度が過ぎるとさすがに怒るかも」

「……えーだってさぁ。あの春名が見知らぬ男と一緒にいるなんて考えられな――」

 

「えいっ」

 

 と、里奈と呼ばれた少女の言葉も途中。

 春名の手がいつの間にか隼人の鞄を奪い、自分の鞄と重ねて旋回。

 当然その鞄は遠心力により春名のから離れようと運動を開始し――

 

 ドスン、と。

「きゃーっ!」

 

 ――二回転半の捻りを加えた後、少女の体を見事に叩き伏せた。

 ふぅ、と何かをやり遂げた顔で春名は鞄を引き戻し、何事も無かったかのように、

「はい」

 などと言って鞄を隼人に返却した。

「あ、あぁ」

 対する隼人もその鞄を受け取り、数秒。

「――ってオイコラっ!」

 やっとそう怒鳴った。

 だが、対する春名は小首を可愛らしく傾げる。

 なぁに? と言いたげな表情で。

「……あ、いや。なんでもな――」

「こら少年……。春名の可愛い仕草に騙されないで……」

 と、そこで少女が復活を遂げた。

「お、おぉぅ。大丈夫か? お前」

「ふ……ふふ……。怒った春名の一撃……もう受け慣れてるよ……」

「……いや待て。お前、何回春名怒らせてんだ」

 あの温厚――とは少し違うが――な春名をそう幾度も怒らせるとは。……侮れない、この少女。

 実際はただ懲りないだけなのだが、隼人の心の声だ。突っ込む者はいない。

 

「おはよー。里奈」

 そして、もう本当に何事もなかったかのように笑顔を浮かべるこの少女も、実は侮れないのかも。

「うん……おはよう春名……。朝から元気だね」

「……大丈夫か、本当に」

 今だ路上に転がっている辺り、かなり不安になるのだが。

「あぁ……平気平気。――ほらっ、と」

 そう思ったところで、少女がやっと体を起こした。

 そしてそのまま服を払う仕草を見る辺り、本当に平気そうだ。

 同時に、それが分かって考える。

 

 ――どれだけ頑丈なんだ?

 

 その答えは、思いっきり二つの鞄で叩き伏せられても大丈夫なぐらい、である。

 

「それで、私としては君が誰なのかがすっごい気になるんだけどなぁ。もしかして春名の彼氏とか?」

「まだ出会って一日だ……。色々あって、昨日からこの街に来てるんだよ。で、春名とは――」

 偶然通学路で会っただけ、と。そう同居してるのがばれないようにと思って口にしようとした言葉は、

「今は同じ家に住んでるんだよ」

 春名の、無邪気な一言に意味を失った。

「……え」

 少女の表情が固まる。

 そしてその視線は、隼人に。

 

「……同棲?」

「同居だ」

 

 そして、大いなる勘違いをされてしまった。

 

 

 

「早まってごめんねぇ。私は美鈴里奈(みすずりな)。春名とはクラスメートだよ」

 事情の説明を終わらせると、里奈は苦笑を浮かべ、頭を掻きながらこう言ってきた。

 先ほどまでの会話から独特のペースを持っている奴と思っていたのだが、ある程度常識はあるらしく安心。

「杉矢隼人だ。苗字で呼ばれるのは嫌いだから、隼人でいい」

「ふむふむ、隼人君ね。あ、私も名前でいいよ。というか、苗字まで名前っぽくて他の人と間違えることがあるし」

「確かに」

 『美鈴』という名前の人物もいてもおかしくはない。

「んじゃまぁ、里奈で」

「うんオーケーオーケー。それで、隼人君はあれ? 今日からこの学校に転入?」

「だな。学年は一緒みたいだから、もしかしたら同じクラスになるかも」

 へぇ、と面白そうな声を里奈が上げる。

 それに隼人と春名が首を傾げたら――

 

「いやぁ、教室でも隼人君と春名の同棲疑惑が浮上するわけか……。楽しぎぇっ!」

 

 刹那。

 

 隼人と春名のツープラトンアタックが里奈に直撃した。

 どうやらさすがの春名も、『同棲』には反応するらしかった。

 

 

「というわけで、今日は転入生がいる」

 その脈絡のなさ過ぎる担任の切り出しに、誰もが机に突っ伏す。

 転入生が来ることに対する喜びとか、とにかく普通だったら感じる様な感情も、全てそれに押され消えていた。

 ……もしかしたら、騒動を抑える担任の考えなのかもしれない。

 そんな無駄な考えをしている内に、担任がこちらへ手招きをしているのに気付いた。

 入って来いということだろう。

 それに従い、隼人は教室へと足を踏み入れた。

 

「杉矢隼人です。よろしく」

 無難にそれだけを挨拶して済ませると、何やら、教室の一角から声が上がった。

 ……というか、春名と里奈からだった。

 

 冗談で言ったつもりだったのだが、本当に同じクラスになったらしい。

 楽しそうに手を振る二人にクラスにいる全員が視線を向け、またこちらを見る。

 どうやら、二人と隼人の関係を計りかねているらしい。

「? 二人とも、知り合いなのか?」

 そしてそれを、担任が問い掛ける。

 

 だが。

 

 春名は、

「あ、えっとですね――」

 平然と。

 

 里奈は、

「えー、それはですねー――」

 にやにやと。

 

 とにかく、二人に返答を任せてはえらいことになると判断した。

「通学路で会っただけですよ。この学園のこと、色々と教えてもらったんです」

 なので代理で隼人が説明。

 多少不自然に見えるかもしれないが、初日からばれなければそれでいいのである。

「そうか。……だったら、丁度いいな。美鈴の隣が空いてるから、そこに座ってくれ」

「分かりました」

 と、頷きはしたが。

 実はその席、里奈の隣兼春名の前だったりする。

 ――都合よさ過ぎませんかい?

 本当、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

「で、今更だけど隼人君。やっぱりあの答えはつまらないなぁ」

「黙れ。それにお前等があの状況で口を開いたら、どんな惨劇になったか想像もしたくない」

 時は変わり放課後。

 十数分に及ぶクラスメートからの質問攻めにあった後、隼人と春名、そして里奈はそれぞれ机に座り雑談をしていた。

 そして、その会話の話題は、教室に入ってすぐの担任の質問に対するものである。

「里奈、他人事だと思って楽しんでるでしょ?」

「えー、だってさ。人の不幸は蜜の味って言うじゃない?」

 

「地獄に落ちろ、お前みたいな奴は」

 

 もう、心からそう思った。

「うっわ、出会ってまだ一日もたってない女の子にその言葉はなかなかハードですよ隼人君」

「里奈はさておきさ、隼人君。どうせばれることなんだから、早めに言った方がいいと私は思うな。無駄に引き伸ばして、ばれて。そしたらそれこそその時の対応に困らない?」

「……何だ、お前等はこう、何で他の人よりも思考がずれてるんだ?」

 特に春名。お前に羞恥心はないのか。

 さすがにお年頃なんだから、そういうのは普通、隠したがるはずだろうに。

 それに、ぶっちゃけ家から出るところを誰かに見られる以外、この二人が口を滑らさなければばれることもないのではないか?

 

「「え、いやだって、ほら」」

 その疑問への二人の返答は、

 

「こんな面白いネタ、私が黙っておくわけないし?」

「私、秘密とか作るのすっごい下手だし?」

 

 とりあえず、頭を抱えたくなるようなものだった。

 

 

 

  あとがき


 皆さんどうも、昴 遼です。

 さてさて、カオスな学園生活の始まりです(ナニ

 コメディの割には笑えるのかは不明ですが、まぁこんな感じでしょう。

 自分としては満足です。はい。

 で、とりあえず今回は前回とは違い、春名の天然ぶりをもうちょっと際立たせています。

 同棲はともかく、同居に関しては何も思わない少女、というところでしょうか。

 まぁ、これからの活躍に期待してください(ナンノ

 では、また〜。




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